「人工知能はなぜ椅子に座れないのか-情報化社会における「知」と「生命」」



単に人工知能の技術的限界を示す本なのだろうと思って読んでみましたが、表題よりも副題の方がこの本の内容をよく表しています。参考文献にはダマシオやバラバシの書籍が挙げられており、「動的平衡」のような内容も含まれていて、学際的な内容になっています。

現在の人工知能はジョン・サールの言う「弱い人工知能」であり、「無限定環境」に対応できる「強い人工知能」の開発の目処は全く立っていないことが述べられています。神経細胞は電気信号を受けることで発火し、隣り合う神経細胞が同タイミングで発火することにより神経細胞間の結合が強まるというところまでは「事実」ですが、このシナプス増強によって記憶が形成されているというのは「仮説」であり、この仮説に基づいて設計されたニューラルネットワークは、脳の記憶の仕組みとは異なる可能性があります。また、身体を持たない「弱い人工知能」では「不良設定問題」(「形」を知るためには「馬である」ことを知っておく必要があり、「馬である」ことを知るためには「形」を見る必要があるような、循環論的な問題)に対処することができず、「認識」を工学的に実現することができません。

著者はダマシオの言説を引いて、同じ状態が二度とない変幻自在の「無限定環境」を生きていくためには、自分自身の身体の内部状態を「基準」にして「自己」の変化を「認識」するしかなく、そのうえで安定した状態を維持し続けようとするプロセスがホメオスタシス(恒常性)であると解釈できるとしています。その「基準」となる「ソマティック・マーカー」については「デカルトの誤り」においても述べられていましたが、改めて、基準がなければ判断できないというのは、組織や個人の意識的な意思決定に対しても示唆的であると思われました。

また、「自己言及システム」( 「基準」を持つ生命システムの働き) としてのロボットアーム制御技術の紹介において、それぞれの関節が、中央制御を必要とすることなく分散的に、「協調」と「競合」という二種類の相互作用によって角速度を調整していくというのも、組織としての目的達成を考えるうえで示唆的な内容でした。

他に憶えておきたい知識を、備忘のために記しておきます。

  • 神経節細胞は二種類の受容野を持ち、「オン中心型」が「領域」を、「オフ中心型」が「境界」を見出す働きを担う。ディープラーニングにおいては、「畳み込みフィルター」が「境界」を、「プーリング(圧縮)層」が「領域」を見出す処理を実行する。
  • 脳において、物体の動きに関する情報は「背側経路」で、形や特徴に関する情報は「腹側経路」で別々に処理される。
  • 「ゴンドラ猫」の実験では、「能動的な」猫は装置から解放された後も視覚が正常に機能したが、「受動的な」猫は視覚刺激に対して反応することができなかった。
  • アラン・チューリングは、生命の持つ動的秩序の自己形成のはたらきは、エネルギーが周囲に拡散していき徐々に「崩壊」を起こす(形あるものはいずれ壊れるという自然の法則を表現する)「拡散」のはたらきと、拡散したエネルギーが再び構造化され動的秩序を形成する「反応」のはたらきの二つの相互作用によって起こるという考え方を提唱し、「反応拡散方程式」として定式化した。「反応」と「拡散」は、周囲の環境との「競合関係」と「協調関係」の双方を示す相互作用である。