「他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学」「私とは何か 「個人」から「分人」へ」



ずいぶんと久しぶりに本を読みました。人類学から新しい視点を得たいと思って読んでみたら、結果とてもよい本でした。
前半の「第一部 リスクの手ざわり」は正直、特段目新しさは感じず、わかりきったことをまわりくどく解説している感じがして退屈でした。
しかし、後半の「第二部 危機に陥る人々・その救済の物語」からは、様々な発見がありました。

著者が言うとおり、何かにつけ狩猟採集していた頃から人間の脳は変わらないと論じるのは、確かにおかしな話です。言われるまで、私も疑いを持っていませんでした。
本書で紹介されていたものとは異なりますが、早速「一万年の進化爆発」を購入しました。

「自分らしさ」が、それを認めてくれる他者を必要としているというのも、そのとおりです。

「自分らしさ」への希望は、何者にも影響を受けない秘匿された個性、あるいは想いの開花・実現として捉えられるべきではない。それは旧来の価値観や慣習からの脱却を試みる人々が新しい紐帯と共生、及びそれを支える倫理を探す過程の試行錯誤と捉えられるべきである。

なぜならそこで本当に求められているのは、周りと切断された自分らしさなどではなくて、他者と接合されたそれであり、他者と接合されながら生まれてくる自分は、世界から切り離して取り出せる、ましてや数値としてカウントできる、個人であり得るわけがないからである。

九鬼周造が述べたとする運命に関する説明も大変頷けるものでした。

運命は神のような絶対者から与えられるものではない。それは後から振り返った時に、自分の人生に絶対に必要であったという固い確信が得られる出会いのことを指す。

私にとってよい本とは、次に読むべき本を指し示してくれる本だということがわかりました。
早速この本の中で紹介されていて興味を持った、平野啓一郎氏の本を続けて読んでみました。


自身の著作を例として挙げながら書かれている本であったため、読んだことのない私には正直やや疎外感がありましたが、それでも気づかされることはありました。

八方美人とは、分人化の巧みな人ではない。むしろ、誰に対しても、同じ調子のイイ態度で通じると高を括って、相手ごとに分人化しようとしない人である。

あなたの言葉が、最終的に相手の人生を変えるようなものだったとするなら、それは様々な分人を通じて、文脈を変えながら検討され、同意されたということだ。さもなくば、あなたとの分人のみが影響を被る言葉だったと考えるべきだろう。

愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

魂を通じて、あの世の知人と交信し続けるというのは、実は、時々その死者との分人を生きてみることなのかもしれない。(略)あなたの存在は、他者の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける。少なくとも、しばらくの間は。

人生の長さに関する説明は、「他者と生きる」よりも、こちらの説明の方が私にはしっくりきます。早く死んだことで、生きている人の分人の中でより長く生きることもあるのだと思うのです。

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