「自由になるための技術 リベラルアーツ」

久しぶりに本を読んでみました。なぜかamazonから直接新刊が買えなかったのでKindleで。読んでみて痛感したのは、こういう軽く読める本でもよいから、やっぱり本を読んでいないとインプットが足りないなということ。直線的にアウトプットに繋がるインプットではなく、いつか何かの役に立ちそうなインプットや、他の対象へと誘うセレンディピティが。そして、それこそがリベラルアーツ、ということを再確認しました。

ただ読んでみて感じたのは、結局、リベラルアーツの有用性って、信じていない人や頑なな人に理解させるのはほぼ無理だろうということです。リベラルアーツを有用と感じられない人は、自己にしろ他者にしろ、相対化して認識する能力が養われていないからです。本書に書かれているとおり、リベラルアーツは、「物事を相対化させ、複眼的に見る」うえで有効なものです。一方で、「何の役に立つのか」という短絡的な「損得計算」しか持たない「能力の低い人ほど自己評価が高く自信があり」(ダニング=クルーガー効果)、自分の考え方に合致しているもの以外を受容できません。「大学は何かを教える場所ではなく、自発的な学びを後押しする場所」(出口治明氏)であるにも関わらず、一部の大学を除いて、そのような学習経験を積ませていないことに問題があるのかもしれません。上に立つことのない人はそれでもよいでしょうが、「リーダーは、判断を誤れば組織の多くの人を死なせかねないという責任ある立場にいるのですから、当然、人以上に勉強しなければなりません」(同氏)といくら言ってみたところで、受け入れる素地がない人にはきっと無理でしょう。

リベラルアーツは、「倫理、道徳や誠実さといった「人間性」の部分」という「見えないものを見る力」を養うために必要だとする著者の主張には完全に同意します。私は、東大教養学部で文化人類学を専攻したことが確実に仕事を含めたその後の人生に活きていると感じています。今後も忙しさにかまけず、「境界をクロスオーバーするときに、自由で柔軟な運動、精神の運動を可能に」できるように、教養を積みたいと思います。