「検証アベノミクス「新三本の矢」 成長戦略による構造改革への期待と課題」

アベノミクスの当初の「三本の矢」は、大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略であったのに対し、2015年9月に示された「新三本の矢」は、(1)希望を生み出す強い経済(⇒2020年の名目GDPを600兆円に)、(2)夢を紡ぐ子育て支援(⇒合計特殊出生率を1.8に回復)、(3)安心につながる社会保障(⇒介護離職ゼロに)の3つで、本書はこれらに関する検証を目的として東大出版会から2018年6月に発刊されたものです。各章によって著者が異なっており、第4章「家庭・職場環境と働き方-企業における女性就業」(作道真理)、第6章「少子高齢化社会における社会保障のあり方-介護離職と労働力問題」(田中隆一)は退屈な内容でしたが、それ以外は程度の差こそあれ、想像したよりも踏み込んだ内容になっていました。

潜在成長率は、
=技術進歩率+α×労働人口成長率+(1-α)×資本増加率
(αは労働分配率)
で表されるとのことですが、技術進歩率については本書ではふれられていません。その点は残念ですが、定量データが入手できるわけではないので仕方ないでしょう。

資本増加率については、第1章「設備投資活性化の条件を探る-企業の保守的投資財務行動の変革」(中村純一)でふれられていますが、
(1)大型投資が裏目に出て優良企業が一挙に経営危機に転落するという事例は一般的な傾向ではない、
(2)大型投資というリスクに見合うリターンの向上にはつながっていない、
ことが示されています。つまり、経営者が大胆な設備投資を行わずに内部留保を進めているのは合理的な判断と認めざるをえないことになります。政府やマスコミに煽られてリターンの見込めない設備投資を進めるほど、経営者は馬鹿ではないということです。
また、ローレンス・サマーズ教授の「産業の独占化・寡占化現象」にふれて、次のとおり世界経済の長期停滞の構造を説明しています。

グローバルなM&Aの隆盛は、大手企業の再編・集約化競争を通じて市場集中度を大きく高めた。また、ICTの浸透という技術変化は、産業のネットワーク外部性を強め、1人勝ち状態(自然独占)を生み出す。そして潜在的な参入圧力が弱く、独占・寡占状態が安定的に続くという予想のもとでは、完全競争的な状況に比べて、企業の利益水準や株価は高まりやすい一方、過少投資傾向が強くなる。その結果、企業部門の貯蓄超過、低成長、低金利の共存状態が持続する。

次に、第2章「これからの「人材活躍強化」-リカレント教育に関する分析」(田中茉莉子)では、高等教育とリカレント教育の水準が補完的、即ち、高等教育の水準が高いほどリカレント教育の効果が大きい場合には、リカレント教育の水準を高めることが示されており、さらに、高齢化の進行が人的資本の蓄積に与える影響を分析した結果、補完的なケースでは高等教育もリカレント教育も増加することで経済全体の人的資本の成長率が増加することが示された一方、代替的なケースでは、リカレント教育が高等教育の効果を完全に打ち消すように減少するため、経済全体の人的資本の成長率が増加しないことが示されています。

これに対し著者は、「リカレント教育がより教育水準の高い労働者に対してより有効(すなわち、補完的)なのか、それとも教育水準の低い労働者により有効(すなわち、代替的)なのかは、各国の事情や時代背景によって大きく異なる」として現在の日本がどちらなのかは明確にしていませんが、おそらく補完的だと考えているものと推察します。とすれば、選別的な教育投資が行われるべきであり、それによる教育格差の一層拡大や、所得格差の拡大も受け入れざるをえないものと考えます。

第3章「出生率向上の政策効果-子育てと就業の両立支援策」(宇南山卓)では、結婚による離職率は1985年以降2005年までほとんど変化しておらず、保育所の整備がほぼ唯一有効な両立支援策であることを示したうえで、保育所の自己負担額引上げの効果について次のとおり述べています。

自己負担の増額は、総量としての保育所需要を抑えるだけでなく、機会費用の高い利用者を優先的に利用させる効果も持つ。より多くの保育料を支払う意思のある入所希望者は、長期的にはより生産性の高い労働力である可能性が高く、優先的に入所させることでマクロ的な機会損失を減らすことができる。しかも、保育所を利用すれば自己負担も大きくなるため、公費負担が減り、公平性の観点からも改善となる。
保育料の引上げは、需要側だけでなく、供給側にも影響を与える。公費負担が減れば、自由な参入退出ができる認可外保育所とのイコールフッティングに近づき、保育所間の競争を促すことができる。これは、結果として、自由な労働市場での保育士に対する需要を生み、保育士の賃金水準の上昇が期待できるのである。

最後に第5章「安心につながる社会保障とは-財政的観点による世代間格差の解消」(宮里尚三)では、2007年時点での50代以上とそれ以外の現役世代では生涯純負担額に明確な差があり、さらに将来世代では大幅な負担超過になることが試算されています。そして、世代間格差を温存する政策が一貫してとられてきたことを次のとおり述べています。

1990年代の世代間再配分政策は20歳代を含めた現在世代の負担を軽くする一方で、一貫して将来世代に負担を先送りする政策がとられていたと言える。

2000年代後半の将来世代の生涯純負担の軽減は、退職世代の便益を削減するのではなく、20歳代から40歳代の負担を増加させることによるものであったのを意味している。

戦略を謳う以上は、制約のある資源を長期的な公益の観点からいかに再配分するかを考えなければならないにも関わらず、私益に縛られた政治家やそれを支える「大衆」がそれを阻んできたということを、本書を通じて改めて認識させられました。また、リーマン・ショック以降、東日本大震災などの災害、そして現下のウイルス禍に見舞われている状況では、企業も個人も大きなリスクに備えて投資や消費を抑える傾向が強まるであろうと推測される中、「世界経済、最後の審判 破綻にどう備えるか」で唱えられていた「内需主導型経済への構造転換」というのは、絵空事にすぎないのではないかと思われます。制約のある資源を大胆に再配分しながら、内に籠らずグローバル経済に対応していく以外に、日本経済の成長はありえないでしょう。