「王貞治-回想」

絶版になっていますが、努力に関する王さんの言葉を確認したくて、買って読んでみました。
「努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか。」
努力は必ず報われる、という言い方には全く同意しませんが、王さんのこの言葉には反論しようがありません。

他に、記憶に留めておきたい言葉は次のとおり。

「自分で抜けられないものを、今さら人に頼ってもどうなるものでもない。もしあと一年やるとしても、もう人からアドバイスしてもらうようなことは何もない。自分自身との戦いだ、と思った。」
「だれでも、調子が思わしくないときに、スランプだという。すると金田さんは、『野球の世界でスランプという言葉を口にできるのは、王と長島とワシしかおらん。あとの選手は口にしたらあかん。いつも調子の悪いやつはスランプではなく、当り前のことなんだから』といった。」

「いわゆるチームプレーに必要な心の和などというものは、勝てば自然に出てくるものだし、負けが込んでくれば、たちまちガラス細工のように壊れてしまう。ちょうど一般企業でいえば、業績のいい会社は社員の顔も明るく結束も固いが、赤字や不振の会社は社員に不安感がつきまとい、仕事が手につかなくなるのと同じだ。」

「自分が少しでもうまくなりたい、もっと打ちたい、と思うなら、やって来なければウソだ。格好をつけているうちはまだ駄目だ。意欲も悩みもないのだろう。しかし、向上心のあるものなら、いずれ格好つけていられない時がきっと来る。ワラをも掴みたいと思うような心境になる時が必ずくる。そうなったら、格好なんか忘れて飛び込んで来る。それが技術屋というものだ。」