「「わかり方」の探求-思索と行動の原点」
「学習学」の先生が書かれた本ということで期待して読んでみましたが、思索的・学問的な内容で、具体的に活かせるようなものは残念ながら私には見つけられず、第2章まで読んで第3章は読むのをやめました。関心が持てた内容のみ、備忘のために記しておきます。
- 幾何の定理証明は、絵画や音楽と同様に、できるだけ多くの人に賞味されるべき文化遺産である
- 何かを「知る」前に心の中に一つの「公理系」が用意されていて、そこから多様な「定理」が生成され、当面の状況の中で検証できそうな定理が「仮説」、「予想」、「期待」となるが、同時に、その反対または否定の定理が生成されることで、反・定理がもっともらしく説明できるはずの反・公理系が暫定的に生成される、という状態で私たちはモノを見る
- 必然性のある事態(状況)を思い浮かべることによって、記憶が飛躍的に向上する(J.D.ブランスフォードらの研究)
- 事態の必然性に対する関心を持つことが「読解」の基本であり、「おぼえること」の本質
- 知覚の結果をもとに推論して真実性を得るのでなく、知覚そのものが既に真実性の認識をもたらす(J.A.フォダー「精神のモジュール性」)
- 「心の中に、イメージが描けて「わかる」のではない。イメージを介して、あらゆるモジュールが総動員されて、真実性の吟味が生じ、それの結果、「ホントウだ!」というときに「見えてきた!」といえる。「わかった!」といえる。」