「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」


いやぁ、この本も素晴らしかった。
中沢事件の頃、私は2年生でしたが、当時の状況を全く理解していませんでした。
私自身は大学時代、ポストモダンどころか構造主義すらまともに理解できていませんでしたが、それまでの思想的流れを受けたエピスメーテーの中で文化人類学というものに辿り着き、大学時代を過ごしていたことが30年経ってようやく理解できた気がします。

とはいえ、ポストモダンは結局アンチテーゼにすぎず、何も生んでいないように思われます。
それに対し著者は、「「現代思想」は今でも、というよりは、今こそ、有効である」としつつも、「世の中を導くような理論を構築しようなどというのは僭越である」としたうえで、次のように述べています。

「常識」とされているものを捻って見るためのヒントになるような、事物を細かく切り分けていくための、“若干の分析装置”を提供できれば、上等ではないかと思う。それさえ、本当のところ結構難しい。「左転回」した人たちの一部-とくに反グローバリゼーション派-が再び象徴としてかつぎ上げようとしているマルクスは、素朴に「労働価値説」の有効性を信じていたわけではない。貨幣経済の浸透に伴って、「労働価値説」が通用しそうな世界、“生き生きとした自然”とつながった共同体が、「幻影」として消え去っていくのではないかという危機意識の中で「書いた」のである。それは、“生き生きとした自然”とのつながりを失った“我々”が、人間としての「主体性」をも喪失して、徐々に家畜化していくのではないか、という危機意識でもある。マルクスを復活させたいのであれば、『共産党宣言』などの文面に現れた、彼の表面的な勇ましさだけをいたずらに模倣するのではなく、自分自身のそれを含めて、あらゆる常識を疑わざるを得なかった、深い懐疑のまなざしを学ぶべきだろう。それこそが、マルクスをリサイクルすることである。

素晴らしい本でしたが、その素晴らしさゆえにかえって、思想をめぐる旅の出口が見えなくなりました。
次はどこに向かえばよいのでしょうか?