「「集団主義」という錯覚-日本人論の思い違いとその由来」
放送大学で認知心理学を受け持たれていた高野先生の著書。「日本人=集団主義」という通説に反論しており、学問的な実証研究のお手本のような構成になっています。反証材料として特に興味深かったデータやファクトは次のとおり。
- 同調行動実験による同調率は、日米の間にはっきりとした差が見られない
- 文科系サークルと体育会系サークルとの同調率の差は、規律の厳しさの差によって説明される
- 年齢別賃金や勤続年数のカーブは、日米で大きな差がない
- 各種の調査を見る限り、日本人の方がアメリカ人より企業に対する忠誠心が高いとはいえない
- 太平洋戦争中の闇行為での取り締まり人数、工場の出勤率などを見る限り、一枚岩とはいえない状況だった
通説の成立には「対応バイアス」(他人の行動の原因を推測するときには、状況の影響力を軽視し、人間の内部特性が原因だと考えてしまうこと)や「外集団等質性効果」(内集団にはいろいろな人がいるように思えるのに、外集団の人たちはみな似かよっているように思えること)がはたらいており、「対応バイアス」によって通説が強化され、「確証バイアス」によって通説に合った証拠ばかりに目が向けられることになります。「符号化特定性原理」によって通説に一致する事例ばかりが思い出され、「可用性バイアス」(思い出しやすいものの数は過大評価しがちになること)によって、通説がさらに強化されます。最も厄介なのは「信念の持続」で、心理学では、ある信念のもとになった根拠がくつがえされても、信念それ自体は持続することが知られているとのことです。量子力学の父と呼ばれている物理学者マックス・プランクの言葉が本書中に引用されていますが、それをそのままここに引用させて頂きます。
「重要な科学的革新というものは、反対者を徐々に味方にしたり転向させたりすることによって前進することはまれである。……現実に起こるのは、反対者が徐々に死んでいくことと、始めからその考え方に親しんだ若い世代が増えることである。」
「第4部「文化」の再検討」にて、国民性や文化についても述べられていますが、著者は、人間の行動を文化や個人の性格によって説明しようとしすぎることで、人間が置かれている状況を軽視する傾向を批判しているといえます。これは、経営に関する言説においても広く見られる傾向であり、大学時代に文化人類学をかじった私にもあてはまるものですので、自身の戒めとしなければならないと感じました。